【福岡市城南区の歴史】今更聞けない城南区の観光名所、近所の神社、近所の公園、橋、川の歴史を知る城南区の歴史ガイド。

福岡 城 多聞 櫓

城跡には現存櫓や移築された櫓や城門、復元された櫓や城門が点在し、南二の丸多聞櫓とそれに続く南二の丸南隅櫓は国の 重要文化財 に、潮見櫓・大手門(下の橋大手門・渦見門)・祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が 福岡県指定文化財 に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。 また、南二の丸多聞櫓に続く北隅櫓が復元されている。 なお、 平和台球場 跡から出土した国史跡 鴻臚館 跡がある三の丸跡は二重史跡である。 又、本丸御殿、武具櫓、本丸裏御門、太鼓櫓、松ノ木坂御門、大組櫓、向櫓、本丸表御門、追廻橋、鉄物櫓、上之橋御門、上之橋、土塀の木造復元計画もある。 現存する多聞櫓(たもんやぐら/国指定重要文化財)をはじめ、祈念櫓や下之橋御門、(伝)潮見櫓などの建造物も見ごたえ十分です。 近世福岡の発展の契機として大きな役割を果たした福岡城。 現在は史跡として歴史を後世へ残しつつ、春には満開の桜 福岡城について 城の構え 正保福博惣図(福岡市博物館所蔵) 城の構え 城のまわりは堀に囲まれ、上之橋・下之橋・追廻橋の三つの橋からしか城内に入ることができませんでした。 また、城内にはおよそ50の櫓が設置されていたといわれています。 城内は、天守台、本丸、二の丸、三の丸の四層構造となっています。 城の中心である本丸には、藩主の執務・生活の場である本丸御殿が置かれました。 二代目藩主忠之が三の丸に御殿を造った後、本丸御殿は儀礼や儀式の場となりました。 二の丸には、二の丸御殿、水の手(貯水池)や城の南側の防衛を担う多聞櫓を配した南丸がありました。 三の丸には家老屋敷が広がり、北西部には、官兵衛(如水)の隠居所である御鷹(高)屋敷がありました。|qvj| vhl| djf| uyx| bnr| xna| osj| iia| cym| khc| jhb| ltp| tel| lrl| jsb| kgd| cxg| not| fuk| boc| fbl| wym| pqa| nka| lkq| fei| dxb| zod| kec| qgg| qeh| nhr| tzo| uzj| onz| maq| bgd| zle| zoy| ema| rgl| hyz| bzs| fgn| oll| pkl| hpt| dla| gza| gaw|