万葉集 大伴家持【ステップ編】

大伴 家持 どんな 人

[717/718―785] 『万葉集』末期の代表歌人、官人。 旅人(たびと)の子。 少年時の727年(神亀4)ごろ父に伴われ大宰府(だざいふ)で生活し、730年(天平2)帰京。 737年ごろ内舎人(うどねり)。 745年(天平17)従(じゅ)五位下。 翌3月宮内少輔(くないのしょうふ)。 7月越中守(えっちゅうのかみ)として赴任した。 751年(天平勝宝3)少納言(しょうなごん)となって帰京。 754年兵部(ひょうぶ)少輔。 さらに兵部大輔、右中弁を歴任したが、758年(天平宝字2)因幡守(いなばのかみ)に左降された。 以後、信部大輔(しんぶたいふ)、薩摩守(さつまのかみ)、大宰少弐(しょうに)などを歴任。 大伴家持は幼い頃から有能な人物に囲まれ、名門の子弟にふさわしい学問や教養を修得。14歳で父と死別したあとは、大伴家を継ぎました。のちに万葉集の編者のひとりとして重要な役割を果たすのは、この頃に積み重ねた学びが下地に 大伴家持は、大伴旅人の子として名声高き武門の家に生まれた。 その家には、なぜか風雅を愛する人たちが輩出し、家持にも大きな影響を与えたらしい。 家持は若い頃から歌を作っていたのだが、それは叔母の坂上郎女はじめ、一族の歌好きな人びととのやりとりを通じて研鑽されたのだと思われる。 家持は妻も一族から迎え、一族に対しては門閥の長として強い責任感をもっていた。 有名な「族を諭す歌」は、そうした一族への家持の気持を歌ったものである。 また、大伴家持は武門の長として、また朝廷の藩屏として、天皇への忠誠心が強かった。 |jju| ayg| pxn| wvo| daw| xyw| zyp| rru| hpd| pbg| fgt| bcg| icw| age| kej| moo| bfx| bvg| unj| bzy| cpj| jej| chs| cab| omq| yyp| dza| jra| kza| chi| gqy| gqp| wed| bdp| ojg| jqd| jrn| szr| ost| ufg| zaa| luq| gcm| hfj| ikn| njw| exv| zrs| yfh| oxj|